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代表からのご挨拶

初めまして

世の中に星の数ほどあるWEBサイトの中から、このサイトのこのページを開いていただいたご縁に、とにかくありがとうございます。

ストーブシティ群馬の代表 塚野 貞幸と申します。
今までの自分の歩みを振り返りつつ、自己紹介を兼ねたご挨拶を申し上げます。

長くなることを前置きしたうえで、お時間のある方、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

さて、ワタクシ、今でこそ薪ストーブを売る商売で生計を立てておりますが、ここに至るまで様々な経験と勉強をさせていただきました。
1971年に産声をあげてから、生まれは長野県佐久市、小学校三年生で東京へ行き、その後に群馬県高崎市にやって来ました。
典型的な転勤族の一家です。

転勤族の定めか、住まいは社宅暮らしが必然でした。
社宅住まいの経験のある方は共感していただけると思いますが、広い家と呼べる住まいではありませんでした。
自分の部屋すらなく、友達と遊ぶにも外が当たり前です。
エアコンが常設ではない夏の暑さには、外の木陰の方が涼しいくらいです。
今思えば決して快適ではない住環境で過ごしていました。
そんな時期の小学校五年生の夏休み、課題で書いた絵が入賞し、なんとはるばるドイツまで渡るほど何処かの誰かに認められた経験をしました。
親と旅行に行った時の奈良の大仏様の写真を見ながら、夏休み中ひと月掛けて描いた絵でした。

振り返ると、その頃から何かを描く、スケッチする、イメージするということが好きだったと思います。
そしてちょうどその小五のとき、親が建売住宅を購入し、我が家と呼べる自宅に引っ越すことになりました。
思い出せる幼心として、自分の部屋を持てたときの感動「家って良いな」と感じたことを今でも思い出せます。

それまでの日常は、普通に外にいることが多かったですし、社宅というものは今ほど設備が良くありませんでしたので。

今の職業に行き着くきっかけを思い返すと、高校に進学するところまで遡ります。
地元高崎の高校ではなく、隣町の藤岡市にある藤岡工業高校の建築科に行くことを決めました。
母方の叔父が大工をしていたことから、小さいときから職人さんの仕事に触れていたので、建築は身近な職業でした。
転校を繰り返す小学校時代と、キャプテン翼に憧れ夢中にサッカーをやりこんだ中学時代を過ごしました。もともと勉強にご縁が無く進学するような大それたアイデアは持ち合わせていませんでしたし、何より選り好みできるほどの偏差値を持ち合わせていませんでしたので。
低くて羨ましがられるのは、ゴルフの数値だけだと気付くにはまだ時期尚早でした。

もともと絵を描くことが好きでしたので、設計やデザイン、図面を書くという作業は自分に合っていました。
当時の担任の先生の熱烈な指導に食らいついて「建築」の勉強は頑張りました。
卒業後社会人となり、建築施工会社に入社するのですが、どうにも肌に合わず退職してしまいました。
地元の高校の先生に相談して、地元の工務店を紹介してもらって大工見習いとなりました。
そこから五年ほどすると、ふと建物が建つ基礎や土地のこと、不動産のことが気になるようになりました。
基礎が出来た上から先の建築は学んできたけれど、そもそもの土台、目に見えなくなる部分、土の中のことや風習などに興味が出てきました。

ハテナと思い立ったらその興味が止まらない性分のため、勢いに任せて不動産業界に転職します。
当時はダークなイメージを先入観でもっていた不動産業界でしたが、とある求人広告で可愛いイラストに目が向き、ただそれだけでその会社の門を叩きに行きました。
運よく拾っていただいたご縁で、工事部を兼ねる不動産営業の仕事に就くことが出来ました。

建築と併行しながら不動産の仕事と勉強を深めるうちに、お金を稼ぐという魔力にどっぷり浸かる羽目になりました。
「金の亡者」とまでは行きませんでしたが、それなりに営業の成果を出していった先に、自分に合わない居心地を感じるようになりました。

ちょうどその時に出会った、とある印鑑屋のおじさんから、神事のしきたりや習わし、宗教的ではない古来からの考え方など色々教えてもらいました。
科学的なようで非科学的なこともあったり、当たり前のような話なのに、自分自身には見えていなこと、気付かないことをたくさん教えてもらいました。

このおじさんとの出会いがきっかけで、今の自分の中にあるものに出会えた気がします。
それから独立し、自分で自分の仕事を、自分のやりたい仕事を見出すようになりました。

特に、建築に携わってきたことから、自分の生い立ちからも含めて住環境のことをより深く勉強するようになりました。
日本の建築業界のこと、大量生産される建材のこと
もともとアトピー性皮膚炎などのアレルギー持ちであったことからシックハウスやアスベスト問題など
色々なモノやコトに対するナゼ、ハテナを突き詰めるようになりました。

自然素材を扱った住環境の提供を中心に、人が家に住むことの本質を考え、建てることを目的とする家造りではなく、住むことを目的とする家造りを目指してきました。
その住環境を提供していくうちに、間取りや家具では補えない、何かもっと本質的なモノがあるのではないか?とまたしても模索が始まりました。
そして、自分の会社のオフィス兼店舗を改修するキッカケからついに出会ったのが、薪ストーブでした。

その時の購入した決定的な決め手は、「ココにストーブがあったらカッコいいんじゃね?」というインテリア性でした。
今だから正直に言います。
ストーブの本来の機能よりも、見た目、デザインで買いました。
そしてストーブ屋さんからストーブ本体を買ってきて、Jで始まるホームセンターで煙突を買ってきて、自分で取り付けました。

薪ストーブを売る側になって安全面から「やってはいけない」と言い続けていますが、実のところ自分自身が「やってはいけない」危険なことをやってしまっていました。それが間違いだと気付けたのが2008年です。

Jフル本田にある薪ストーブの展示エリアに置いてあったヒトツのストーブ雑誌に、現在のストーブシティの前進、ファイヤーライフグループの存在を知ったのです。
安心で安全な施工を厳格にする薪ストーブの安全啓蒙活動を行っているプロ集団の記事を読みました。
薪ストーブに無知だった私は、しっかりした知識と技術を学びたいと思い、茨城県に拠点を置くストーブシティ(旧ファイヤーライフ)の佐藤代表との出会いに繋がります。
薪ストーブの魅力を知ってからは、今まで見えてこなかった住環境との関係性に、大いなる可能性を確信するようになりました。
安心と不安
安全と危険
オモテとウラの関係なのかどうか
何が正しくて何が間違っているのか
その正解を導き出すにはまだまだ道半ば、未熟ではありますが、日々、たくさんの方とのご縁の中に学びを頂いております。

あれから約12年、干支も一回りするほどの付き合いを重ね、佐藤代表には仕事だけではなく人生観や人とのご縁など、ありとあらゆることを教えていただきました。
今の自分があるのも佐藤代表のお陰です。まだまだ学ぶことがたくさんありながらも、これから過ごす時間を恩返しができるように、自分の力を発揮していきたいと思っています。

自分の描いた絵が届いたドイツから、まさか今になってストーブを届けてもらえる状態になるとは夢にも思いませんでした。

現在取り扱っているスキャンサームは、間違いなく世界最高峰の薪ストーブであると確信しています。
ココでは細かな説明は割愛いたしますが、色々と回り道をしながら学びと経験を深めてきた自分には、そう思える自信があります。

まだまだ酷い施工をするストーブ業者、安全基準を軽視する事業者は、残念ながら日本では多いです。
決して不真面目なわけではなく、ただ単純に知らないだけなのかもしれません。
プロとしての自覚を高めていくことは、業者としての使命だと思います。

自分の目の届く範囲で、真面目に、仕上がりの美しさ、安全を確保する仕事をして行きたいです。
とにかく、ヒドイ業者にはなりたくない。
そういう想いで、この薪ストーブ業界に身を置く覚悟でいます。
自分の扱う商品と技術に誇りと自信を持ち、そして提供する付加価値がユーザーの幸せにつながることを信じたい。

薪ストーブと共に暮らす火のある文化、生活を営むことが豊かなのではありません。
豊かな感性を持っている自分自身に気付かせてくれるキッカケを、薪ストーブの炎から、たまには不便な思いをする経験から得られるのだと思います。

自分自身が豊かに感じられる瞬間は、実は身近な人と人との間にある
そのことを見失っているだけなのかもしれません。

薪ストーブの炎を通じて、その豊かさに出会えた、買って良かったエピソードとして
お客様からお話が聞けたらとても嬉しいことです。

よろしくお願いいたします。

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